食べ物と汽車が好きな人のための書評

名作の中の食べ物、作家が好きな食べ物と旅を追って、本の森を歩こう

中落合 中太郎
(C)Chutaro.Nakaochiai
池波正太郎の原発―『日曜日の万年筆』
JUGEMテーマ:原発
 池波正太郎は「鬼平犯科帳」「仕掛け人梅安」「剣客商売」などの作者でテレビ化、映画化されているから作品に触れた人は数多いだろう。

池波先生はグルメで「日曜日の万年筆」にもたいめいけんの話や「花ぶさ」などお気に入りの店の随想がふんだんに出てくる。

池波さんは浅草の生まれで子供時代のなつかしい食い物のはなしがある。曾祖母、父親などに連れられて行った蕎麦屋。池波少年はカレー南蛮が好きだった「蕎麦」。

尋常小学校を卒業して、株屋に奉公。兜町の株式仲買店で働きながら、当時、新川にあったたいめいけんや「資生堂」に通った話。

鬼平や秋山小兵衛も大好きだが、池波さんのグルメ随筆も大好きだ。

そんな「日曜日の万年筆」に「原子炉の核が露出」とか「ウランと死の灰は二万五千年もの間、四方に放射能をまき散らし続ける」などという文言があった。

映画にも造詣が深かった池波さん。マイケル・ダグラス制作、ジェーン・フォンダ主演の「チャイナ・シンドローム」について書いている。

テレビ局の女性キャスター(ジェーン・フォンダ)が原子力発電所の取材中に事故が発生する。原子炉が故障し放射能が漏れ始めたのだ。カメラマンはその制御室の混乱を隠しカメラで撮影してしまう。

「企業と政治と陰謀と妨害が恐るべき原子炉の故障を押し隠し、強引に再開に踏み切ろうとするのである」(日曜日の万年筆)

池波さんは言う
「体面と営利を維持するがためには、善良な市民を殺害して恥じぬ」

「日曜日の万年筆」は昭和54年(1979)に毎日新聞の日曜版に連載された。

それから32年。まさに「体面と営利を維持するがため」、「企業と政治」は強引に再開に踏み切ろうとうごいているではないか。

私は毎日新聞のこの随想を読んでいた。後に単行本も買ってい、愛読したのだが、いつか失くしていた。池波さんの原発への鋭い指摘は読んだ記憶がない。

たまたま先月、「完本池波正太郎大成」を繰っていて気が付いた。

さらに引用する。

「近代の人類は、人類が棲む惑星のエネルギーをむさぼり喰らい、惑星の警告を無視して無茶苦茶に突進しつつあるかのように見える」

「こうなっては、もう引き返せない」
 
気づいた以上、私は引き返したい。

| 中落合中太郎 | 池波正太郎 | 10:22 | comments(0) | - | pookmark |
スカイマークが成田へ国内4路線ー千葉日報が伝える
JUGEMテーマ:楽しい海外旅行
 千葉日報のサイトによるとスカイマークエアラインが成田発着の国内線を旭川、那覇などに順次就航させる計画だという。

西久保社長が千葉県庁に森田健作知事を訪ねて、計画を伝えた。

千葉日報の記事はこちら
http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1299634796

成田の国内線は便数が極端に少なく成田のハブ空港化を妨げてきた。

スカイマークの就航は画期的だ。

成田の国内線が充実化すれば、千葉県はもとより、埼玉、茨城、栃木など北関東の人々の利便性が向上する。

関東東部、北部のひとたちにとって「遠い羽田」から「近い成田」になる第一歩だ。
| 中落合中太郎 | - | 12:38 | comments(0) | - | pookmark |
永六輔と石原慎太郎 八百長相撲を目撃!マスコミは自分に都合の悪いことはないことにする。 記者会見を読もう
永六輔、八百長相撲を目撃する

「土曜ワイドラジオ東京 永六輔その新世界」というラジオ番組が大好きである。東京のTBSラジオで毎週土曜日朝の8時半から午後1時まで生放送である。

永六輔さんと外山惠理アナウンサーをメインに鎌田実さん、大橋巨泉さん、きたやまおさむさん、ピーコさんなどひとくせもふたくせもあるゲスト陣がユニークなトークを繰り広げる。

以前にも紹介したがスポンサーがNTTドコモのコーナーで「ボクは携帯はきらいだ。あんなもん必要ない」と公言する永六輔はえらい。そして、それでもスポンサーを続けるドコモもえらい。

前回2011年2月12日の放送では豊竹咲太夫さんを相手に相撲談議。八百長発覚でも本場所も巡業も続けるべきだ、という意見でふたりは一致した。

その中で永六輔さんは自分が砂かぶりで力士が八百長するのを見たという話を披露した。
取組中に力士の片方が
「もっと押せ。ほらもっと強く」
と相手の力士にささやくのを聞いた、というのだ。

永さんは、昔から人情相撲というものはあった、一生懸命けいこしている力士にご褒美に横綱が星を譲るということはあった、と八百長だから相撲はだめだ、というものではない、という話をしていた。

石原慎太郎知事 相撲の八百長は当たり前と発言

八百長を奨励するわけではないが相撲には昔からそういうものはあった、当たり前だ、と踏み込んだのが東京都の石原知事である。

以下、朝日新聞東京地方版の記事を引用する。(改行は筆者。)
 

石原都知事 発言から
朝日新聞 2011年2月8日朝刊 34面 第2東京 都区内の紙面より

大相撲の八百長
大相撲の八百長について。

あんなもの、昔から当たり前のことであったんだよ」

「これからの一番、八百長でございますっていう、報告してやるわけじゃあねえんだから、

だまされて見て楽しんでりゃいいんじゃないの。そういうもんだよ、相撲ってのは元々、私が知ってる限り。

だから今さら大騒ぎするのは、私に言わせると、何ていうかな、片腹痛いというか、世間も随分ものを知らなくなったというか。

ばれてしまえばだな、やっぱりそれはいかんということになるだろうけどね。ま、笑って目をつぶってろとは言いませんよ。

しかし、何か日本の文化なり伝統というのを踏まえた、日本の文化の神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしいわな」



石原知事が例のべらんめいで青字の部分のようなことをいっきにまくしたてたように読者は思うだろう。

しかし、実はこれは記者が恣意的に抜粋したものであることが下記の東京都庁のWebサイトの記者会見の速記録を読むとわかる。


東京都のwebサイトより
石原知事定例記者会見録

平成23(2011)年2月4日(金曜)

http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2011/110204.htm

【記者】話、変わってしまうのですけれども、今、大相撲の世界で、八百長がメールで発覚したということで騒ぎになっていますが、知事はどのようにごらんになっていますか。


【知事】あんなもの、昔から当たり前のことであったんだよ、本当に。

僕は、まだ物書きだけの頃、西日本新聞の大隈(秀夫)さんという東京の支局長がいて、この人は後に評論家になって、大宅壮一の一門になりましたが、あの人が隣の鎌倉に住んでいて、電車で会っているうちに仲よくなって、あの人の特権で記者席によく連れていってもらった。

記者席というのは、検査役(勝負審判)のすぐ後ろなんだ、2列あって。そこでみんな、見ていると、誰とは言わない、八百長やっている人間は、

*1「早く押せ。ほら、押せ。押せ、ばか。何やっているんだ」「うんうんうん」と言いながら、もう力のない横綱とか大関が頼んでいても押し切れない。

「早く押せ」、記者が皆げらげら笑って見ていたんだ。
その時に金動いたかどうか知りません。私は、そういう経験があったもんだから、

あえて言うけれども、*2大鵬と柏戸と、柏戸が1場所休んで、出てきた時に、全勝優勝するかしないか、最後に大鵬との時に、非常におかしな負け方を大鵬はしたんで、そのことを、私、書いたら問題になった。

あの時、理事長が元の双葉山の時津風で、その前の理事長の出羽ノ海が国会に呼ばれていって、偽証しちゃったんだ。それがばれて、お茶屋の問題とかなんかで、責任感じて、切腹しかかって助かったんだけれど。

その後だったんで、双葉山の故郷の有名な、名前言わないけれど、右翼の大物が、僕のことをけしからんというんで、切るとか殺すとか言う。

その時に、大分評判になって、あの「大映のラッパ」と言われた永田雅一さん、あの人は相撲に非常に詳しかった。

それから、横綱審議委員の舟橋聖一さんが心配して電話かけてきて、「君、こんなこと改めて言うな」と。

「当たり前の世界なんだから。」舟橋先生はそれが「もののあはれ」なんで、それを一々言わない方がいいよと言われたんで、そんなもんですかなと。

ただ、私は、私が言及したあの1番について、一種の片八百長かなと思った。後になったら、「週刊何とか」というのが、あの問題取り上げて、お金が動いたという話じゃないですか。

どこまで本当か分からんけれど。だから、歌舞伎の大見得を堪能して見ているみたいに、これからの1番、八百長でございますという、報告してやるわけじゃないんだから、だまされて見て、楽しんでいればいいんじゃない。そういうもんだ、相撲というのはもともと、私が知っている限り。

だから、今さら大騒ぎするのは、私に言わせると、片腹痛いというか、世間も随分、物知らなかったというか。ばれてしまえば、それはいかんということになるだろうけれど。

笑って目つぶっていろと言いません。しかし、それが日本の文化なり伝統というのを踏まえた、日本の文化の真髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい。

私は、それ知っていたから、東京都知事というのは歴代、横綱審議委員になったらしくて、鈴木(俊一)さんの後、青島(幸男)君は逃げちゃったみたい。私も、2度ほど言われましたけれども、固辞いたしました。ならなくてよかったと思います。どうぞ。
<引用終わり>

<朝日の記事と会見記録のちがい>
お読みになってわかるとおり青字の部分が朝日新聞の記事である。当たり前のことといった後相当の部分を省略している。

記事だから全文を掲載できないのは当然だが石原さんが話したキモの部分を意図的に省略している。

*1の太字の部分である。石原さんは西日本新聞の大隅秀夫支局長と記者席で相撲を見ていたところ、永六輔さんの話と全く同じような八百長相撲を目撃したのである。

それを記者が皆げらげら笑って見ていたんだ。というのである。

<相撲記者クラブの記者は八百長を知っていた>

石原知事のいうとおりなら、相撲記者クラブの記者は八百長が行われているのを知っていて問題にするどころかただ笑っていた、ということになる。

*2の太字の部分。石原さんはそのことを新聞に発表したところ、元双葉山の時津風理事長と同郷の右翼の大物から「切るとか殺す」という、といわゆる圧力がかかった、というのだ。

石原慎太郎という気鋭の作家が記事にして右翼が乗り出す騒ぎになったのだから、「オレも見た」といっしょに見ていた記者が石原氏をフォローする記事を書いたとか、という話は出ていない。

つまり、相撲記者たちは八百長を知っていたし、問題視しなかったということだ。

<相撲記者は「八百長なんか当り前だ」、と正直に言え>

永六輔さんや石原知事が見た八百長が相撲記者にとっては当たり前である、というのなら、相撲にはそういう人情相撲のようなものは昔からあったし、珍しいことではない、と書くべきではないか。

なのに相撲記者たちは今回の事件で初めて知ったようなことを書いている、のはおかしい。

<石原知事の発言に記者は立場をなぜ、明確にしない>

もうひとつは、石原知事があえて記者会見で持ち出した相撲記者クラブの記者たちの「ゲラゲラ笑って見ていた」ところをこっそり省略して「なかった」ことにしていることに記者たちへの不信を禁じ得ない。

会見記録で石原知事は新聞記者は八百長相撲をみてゲラゲラ笑っていた、と明言した。
八百長相撲を非難する立場にあるならば、石原氏は「新聞記者が看過していた」、と言ったのだから

先輩記者の名誉のためにも、
「知事!それは本当ですか?裏付けがあるのですか」
、と追及するなり、

「そのような発言は相撲担当記者の名誉を傷つけるので断固抗議する」
、と抗議の姿勢をとるべきではないか。

しかし、都庁クラブの記者たちはは全く反応せず、スルリと次の話題に行ってしまった。

上杉隆さんは大新聞やテレビの記者は記者会見では肝心なことを聞かず、発言しないで記事を書いている、といっているが会見録を読むとそれがよくわかる。
それだけではなく肝心なことを聞きながらあえて報道していないことがわかる。

それを検証する手段として、記者会見の記録が各省庁や都庁のwebサイトにあるので読まれることをお勧めする。

外務省 前原外務大臣会見
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_1102.html#3-B

総務省 片山総務大臣記者会見
http://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/02koho01_03000165.html

大阪府 橋下徹知事の記者会見
http://www.pref.osaka.jp/koho/kaiken/20110202.html

名古屋市 河村たかし市長の記者会見

http://www.city.nagoya.jp/mayor/page/0000020665.html

<参考>
石原知事のいった大鵬・柏戸の八百長相撲騒動とはこのことらしい。以下引用する。

Wikipedia 柏戸 剛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E6%88%B8%E5%89%9B
より引用。

「柏鵬時代」も本格的に展開するとみられていた。

ところが昇進後は怪我や病気で休場続きで、4場所連続の休場から再起をかけた1963年9月場所には解説玉の海の「柏戸に勝たせたいねえ」の声が聞こえたか大鵬との千秋楽全勝決戦を制して全勝で昇進後初となる2度目の優勝。

これ以上はない見事な復活に日本中が感動し、柏戸は支度部屋で号泣した。

だが、この取組をみた石原慎太郎が、新聞に八百長の疑惑を寄稿した。

大鵬自身はビデオを見て自分の驕りだったとは感じたが勿論激怒し、時津風理事長の問いに対し「絶対に八百長はやっていない」と断言した。

これを受け、協会は石原を告訴する準備をした。この件は石原側が謝罪する事で和解した。ただし高鐵山は後に自著『八百長』の中で石原発言を支持し「初めて大掛りな注射相撲をしたのが柏戸さん。」と記している。皮肉にもこの件で大鵬と柏戸の仲は良くなった。
<引用終わり>

| 中落合中太郎 | 石原慎太郎 | 19:26 | comments(0) | - | pookmark |
見たら原作を読んでください―ジュリア・ロバーツ主演・映画「食べて、祈って、恋をして」原作エリザベス・ギルバート
評価:
エリザベス ギルバート
武田ランダムハウスジャパン
¥ 940
(2010-08-10)
コメント:ジュリア・ロバーツの映画「食べて、祈って、恋をして」を観た人はぜひ、読んでください。

評価:
Elizabeth Gilbert
Penguin Group (USA) Inc.
¥ 764
(2010-07)

評価:
エリザベス ギルバート
新潮社
---
(2005-01)

JUGEMテーマ:恋愛/結婚
 「なんだかわからない!」
有楽座という美味しいにおいのする映画館を出る時、私のうしろを歩く女の子がつぶやいていました。

「なんだかわからない!どうして、ああいう結末になるの?」
映画をみた感想を一緒に見たお友達に話している、よくある光景です。

別のグループの女性がいいます。
「あの展開だと、あそこでああなると思わないけど…」
と大きな声で話しています。

原作を読んでしまった私は心のなかでつぶやきました。
「あのシーンとラストシーンの間には長いエピソードがあるんです」

この先の話はストーリーの結末を想像させますので一番最後に書きます。
映画を見ていなくて、「私はカンがいいわ」と思う人は文末の緑色の行は読まないこと。


小説や史実を映画やドラマにするとどうしても原作とのちがいが気になりますね。
司馬さんは「私は私の原作の映画やドラマは別の作品だと思って楽しんでいます」
と、書いているけれど、そう思います。

映画を見たひとは原作を読むことをおすすめします

見てから読むか、読んでから見るか、とは私が学生の頃、流行った「八つ墓村」とか「セーラー服と機関銃」とか角川映画と角川文庫のキャッチフレーズですが、「観たひと」は読むと謎解きができます。

映画を見ていない人、原作を読んでいない人に映画の感想や感動を伝え、しかも、結末がわからないようにしゃべるのはむつかしい。

でも、なんとかやりましょう。

最初の10章。映画では見えないリズのこころ
ストーリー展開について申し上げます。原作を踏襲して、場面はニューヨーク→バリ→ニューヨーク→イタリア→インド→バリと展開します。

ニューヨーク編
リズと夫との離婚、若い恋人デービッドとの関係が語られます。

リズの離婚にいたる内的葛藤。神様との会話。これは映画ではわかりません。でもこれをわかってほしい。

ニューヨークのシーン。ダンナと暮らしていたときの生活と恋人デービッドとの同棲生活。このコントラストがアメリカ社会を知らない映画でよくわかります。原作で見えない側面がわかりました。

30代後半の女性作家と20代の青年の同棲が周囲からどのように見えるか、は、映像化するとよくわかります。

もう一つは彼女の生い立ち。WASP(White Anglosaxon Protestant)。東部の中産階級。他のマイノリティから見るとうらやましい生い立ちをリズがどう考えているか、これはタブーなのかもしれません。映画からは読み取れませんでした。

イタリア編

イタリアではイタリア語を教えてくれる気のいいイタリア青年ジョバンニやスウェーデン娘ソフィーとの交流を通じて、イタリアを楽しみます。

ローマの美しさ。猥雑さ。ジョバンニとの逢瀬の舞台装置としてのローマ。リズとジョバンニが新宿で会ってもローマの逢瀬のようにはなるまい、と思いました。映画は私の想像の中のイタリアを越えて美しかった。

ルカ・スパゲッティ(かわいいオジサン)サッカーに熱くなるローマっ子のののしり言葉。原作を読んだ人は「ここがそれなのね」っと楽しめます。

インド編

映画ではムリだった

主人公のリズはイタリアからインドのグルのアシュラムに行きます。アシュラムの雰囲気は私が行ったことのあるところと比べてあんなものです。

細かいことを言えばヒンドゥー教のアシュラムでは男女がいりまじって瞑想したり食事するというのはインドでは、ない…まあ、いいか。

彼女はアシュラムで瞑想して雑念が多くてうまくできない。これは描写されてます。
しかし、これは瞑想をハスッパに初めてしまった人だれもが経験することです。

それより、彼女が瞑想を通して、それこそ別れたダンナのこと。恋人のデービッド。さらには彼女の生い立ち、全人生にわたる内面的な苦しみ、悔恨にうちのめされのたうちまわるところは映画ではヤッパリ無理でした。ありません。やれば朗読劇になってしまうでしょう。

原作ではグルギーターというヒンドゥー教の神様の名前を詠唱する修行で彼女はものすごく苦しみます。これもありません。

テキサスのリチャードはリズが内面の苦しみをぶつける一緒に考えてくれる人物です。
リチャードとの会話を通してさっき「映像化は無理」といったリズの内面を描こうとします。

映画はこれをかなり押さえた表現にしています。原作のままやると宗教色にアレルギーを感じる人もいるからでしょう。ここがポイントなんです。

背景となるインドはイタリアと一転して現実でした。
16歳のアレンジドマリッジ。

原作を読んだ人(私)は…
読んでから観た、私はインドのアシュラムの様子や一緒に床磨きした少女やテキサスのリチャードの顔が見えて(リチャードはいいねえ)

バリ編
バリではメディシンマンのクトゥというおじいさんとヒーラーの女性ワヤンのスピリチュアルな世界が描かれます。クトゥの暗示やワヤンの一言。プロテスタントの宗教観に育ったリズには新鮮だったのでしょう。

一方、バリの享楽のシーンも。
背景となる海。水田。美しいバリ女性。水田がこんなにきれいだとは。


バリのヒンドゥー教の儀式にリズはなにかを得るんですが、映画ではほとんどありませんでした。

クトゥがリズにしめしたテーマはバランスです。

バランスをリズはどうするんでしょうか。

原作のイメージが壊れるか。見ない方がいいか

私のこたえはイエスそしてノーです。
映画を原作の映像化と思う人は、リズの内面が描ききれてないので、見ない方がいい。

ぜんぜん違う!と怒るでしょう。現にNPR(National Public Radioアメリカの公共放送)の映画評論家がメッチャクチャに批判記事を書いています。

Linda.Holmesのブログ
http://www.npr.org/blogs/monkeysee/2010/08/16/129227754/what-went-wrong-with-eat-pray-love

映画は原作の一部。そう、挿絵あるいはグラビアと思うと、イタリアの明るさ、重厚さとニューヨークののおもくるしい生活との対比。

バリの水田がきれいですね。水田は観光資源になるんだ、と思いました。

この作品は映画は原作の補完的なものだ、と思えば観たほうがいいでしょう。

先に観てしまったあなたは読んでください

アメリカではベストセラーで読んだ人のほうが多いので映画化されたのですが、日本では映画を観た人のほうが多いのでしょうね。

私は原作を読んでか映画を心待ちにして、「うわー来た!」と観に行った口なので、映画を見て原作を読んでいないひとの気持ちは想像するしかないのですが、

映画で見るリズの心の変化や行動は彼女の瞑想や祈りを通じての自己や神との会話に裏付けられています。原作はそれに沢山のページを費やしています。

人間の内面の映像化はむずかしい。だから、映画をいきなり見た人は「なんでこういう展開になるの?」という疑問がでるんだろうな、と思います。

そういう意味では自己完結していない映画といえます。が、それでも私は見てよかったと思います。

文庫も出ましたし、リズ・ギルバートの世界に乗りかかった船と思って、原作を読んでください。

アメリカでベストセラーになりニューヨークタイムズなどの書評でほめられた本です。それだけのことはあります。断言します。

あるラジオ番組の映画評にむっと来た
自分の書評を他人にこき下ろされるとヤッパリつらいです。だからひとの評論を批判したくないんです。でも、プロのくせに見たり読んでないで批判しているひとがいるみたいなので一言書きます。
続きを読む >>
| 中落合中太郎 | エリザベス・ギルバート | 16:48 | comments(0) | - | pookmark |
日本にカレーが来た道―「カレーなる物語」吉田よし子
JUGEMテーマ:グルメ
 <カレーを食べた最初の日本人は16歳>

本書によると、記録に残っている話として、最初にカレーライスを食べた日本人は会津藩士から東京帝国大学総長になった山川健次郎博士だそうだ。

明治4年(1871)、当時16歳の山川少年は国費留学生として郵船会社のパシフィック・メイル号でアメリカに向かっていた。山川少年は船の西洋料理が鼻について食べられない。20日以上かかる船旅で絶食していては命に関わる。

船医の勧めでカレーライスを口にするが、「あの上にのっているゴテゴテしたもの」(カレーソース)は食べられず、船医にもらったアンズの砂糖漬をかじって下のご飯だけ食べて命をつないだ。

この話は昭和4年に旧制武蔵高校(現在の武蔵大学)での連続講話の記録に残っている。

<初めてカレーを見た日本人>

最初に人がカレーを食べているのを見たのは、のちの東京帝国大学医科大学学長(医学部長)となる三宅秀であると吉田さんは書いている。

三宅博士は文久3年(1863)幕府が派遣した遣欧使節の随員として渡航中、乗り合わせた船のインド人がカレーを手で食べているのを見た、と日誌に記録している。

以下、青字は引用である。

飯の上に唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻きまわして手づかみで食す。至って汚なき物なり

吉田さんは続ける。

しかし、そのカレーがそれから百年もたたないうちに、日本人のもっとも好きなメニューの一つになってしまうとは神ならぬ身の知るよしもない。

<吉田さんはハーブ、スパイス研究の草分け>

吉田よし子さんは東大農学部卒業後、旧農林省に入省。フィリピン、インドネシアでの駐在経験もある。

私は吉田さんの講演を聞いたことがある。目が生き生きしていてキビキビとうごく元気なおばちゃんである。彼女は自身で栽培している生のカレーリーフを触らせてくれた。

吉田さんはインドの農家の台所に入って女性たちと料理しながら、スパイスの調合や料理のレシピをじかに取材するなど積極的に活動している。

<カレーのきた道>

三宅博士のみたインド人のカレーと山川博士の食べたカレーは別の種類だ。前者はほんもののインド料理、そして山川博士の食べたのは我々が普通食べるカレーライスである。

ご存知のようにインド料理屋のカレーは小麦粉でとろみを付けることはしない。じゃがいもや豆のカレーならそれ自体でトロミがでる。が、通常はトマト、玉ねぎなどでグレービー(英語だが)をつくる。その場合多少とろみがあるが日本のカレーにくれべればサラッとしたものである。

もちろん、インド料理ではカレー粉やカレールーは使わない。それがどうして、カレー粉と小麦粉のカレーになって日本にきたのだろうか?

<東インド会社とカレーのイギリス伝播>

本書によると、イギリスにカレーを紹介したのは1773年初代ベンガル総督となったヘイスティングスである。日本では徳川家治将軍。老中田沼意次が権勢を振るっていたころである。

その前年、総督になる前にヘイスティングスは英国にカレーを紹介した。現在のインド共和国西ベンガル州からバングラデシュ一帯は現在でも有数の米作地帯である。

したがって、ヘイスティングスがもたらしたカレーもベンガル風の米飯をそえたカレーライスであった。
カレーライスはイギリス上流階級にもてはやされ、英国王室で供されるまでになった、という。

<カレー粉の発明>
上流階級のものであったカレーはインド人の料理人によって調理された。だから、スパイスやハーブを調合した本場のインド料理に近いものであった。

貴族の宴会やパーティーを請け負う会社、クロス&ブラックウェル(C&B)社が初めて、カレー粉を開発した。カレー粉により、面倒な調合から開放された。また、インド人でなくてもカレー料理がつくれるようになった。

<現在のイギリスのカレー事情>

18世紀にイギリスで大流行したというカレーだが今のイギリス人がカレーを食べているとは私はとても思えないのである。

こちらのサイトで私と同じ疑問を持った方が質問している。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0917/263426.htm?g=09

それでいうとフランス、ドイツなど大陸にはない。カレーはインド料理店で食べるものだ、という答えであった。

イギリスにはある、という回答もあるが具体的にどこの店で食べられるとは答えていない。
こちらはイギリスのカレー事情である。どうもはかばかしくない。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/391985.html

ところがこの英国ウェールズのパブ&ホテルのメニューを見つけた。たしかにCurryとある。インド人経営ではないと思う。

Home Made Medium Spiced Chicken Curry served with chips, rice or half and half 9.25
Home Made Hot Beef Madras Curry served with chips, rice or half and half 9.25


住所は、Church Street, Beaumaris, Anglesey

http://www.sailorsreturn.co.uk/menu.htm

<どうしてカレーにとろみはついたのか>

カレー粉ができたのはわかった。しかし、どうして、カレーに小麦粉がはいったのかがわからない。

<カレーは安土桃山時代に日本に来ていた>

吉田説に真っ向から反対する人々が現れた。なんと三宅秀が見たのより遡ること270余年。安土桃山時代にカレーは現在の長崎県大村市にもたらされたというのだ。
それがこのサイトである。

http://umakatai.omlog.net/curry

九州のキリシタン大名が派遣した天正遣欧少年使節がインドのゴアからカレースパイスを持ち帰ったというのである。

しかし〜。このサイトで紹介されているカレーはどう見てもインドのカレーとは違う。

だが確かに彼らは往きと還りにポルトガルの植民地であったインドの西海岸のゴアに滞在している。

この際、大阪地検の前田恒彦の如く、、元農林女性官僚にさからって、天正遣欧少年使節の大村の少年たちがゴアでカレーを食っていたというストーリーを捏造して、東京地検の民野健治の如く強引に取調べしてみっか、と思う中太郎であった。

というわけで、ポルトガルとインドのカレーそして安土桃山時代の日本人はつながるのか、次回は別の本で考えてみる。
| 中落合中太郎 | 吉田よし子 | 01:37 | comments(0) | - | pookmark |
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
  • 超能力新聞記者があふれる日本のマスメディア-『ジャーナリズム崩壊』上杉隆(幻冬舎新書)
    憂国 (01/21)
  • 超能力新聞記者があふれる日本のマスメディア-『ジャーナリズム崩壊』上杉隆(幻冬舎新書)
    (07/23)
  • 北カリフォルニアのミカン畑に行く。<湯葉シティYuba CityのKenzo Sushi>―おふくろ様カルフォルニアご親戚訪問同行記その7
    中落合中太郎 (09/23)
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE