2010.07.27 Tuesday
あの戦争は本当に戦争だったのだろうか?日本政府による日本青年の大量遺棄殺人ではないか―『南の島に雪が降る』(光文社知恵の森文庫)by加東大介
<地震と津波騒ぎで思い出したマノクワリ>
数年前、インドネシアで地震があって日本にも津波の影響があるというので少々騒ぎになった。その震源に近いところがインドネシアのマノクワリというところであるという。
いまは南国の美しいリゾートになっているらしい。
今を去ること60年以上前にこのマノクワリに沢山の日本の若者が半死半生で駐留していた。
日本はアメリカやオーストラリアと戦争をしていたのである。駐留していたというと横田や座間にいるアメリカの駐留軍を思い浮かべるかもしれないが、あんな元気一杯でいたわけではない。ほとんど生きているのがやっとという状況だった。
「敵は幾万ありとても置いてきぼりにすればいい」という戯れ歌どおり、置き去りにされた日本軍の兵隊たちは、とてもアメリカやオーストラリアの元気な若者とと戦えるような状態ではなかった。
南の島に雪が降る (知恵の森文庫)
加東 大介
<生きていくはげみの演芸分隊>
加東大介さんは戦後、森繁久彌さんの社長シリーズ(東宝)や松竹の小津映画で有名だった。
沢村貞子さんの弟である。長門裕之、津川雅彦の叔父さんである。戦前、市川莚司という前進座の役者だった。召集されてマノクワリの陸軍病院の衛生伍長になった。
輸送船が撃沈され補給が途絶え、マノクワリには満足な医薬品も食料も無い。病院の中も外も生きているのがやっとの兵隊ばかりだった。
芋など自給自足の生活が始まった。兵の常食は芋ではなく、芋の葉っぱだった。
加東伍長(のちに軍曹)は演芸分隊を組織し、カツラや衣装も自分たちで作り、歌舞伎から新劇まで演じた。パラシュートを素材にして雪もつくった。
東北の部隊の兵は、南国の雪に涙した。病人の兵はそのマガイものの雪に触れながら息絶えた。
この部隊の目的は戦うことではなく、生き残ることだった。
<なぜ賢明な日本国民がこのようなことになったのか>
司馬遼太郎さんはかつて、このようなことを書いた。
「この戦争は戦争といえるのであろうか」
戦争というと弾を撃ち合い、爆弾を落とし、兵と兵が剣を交えることを思う。しかし、南海の孤島に運ばれ、食料も無く、熱病や感染症に苦しんで死んで行くだけ、というものを「戦争」といえるのか。
この本を読むと、戦争はとうの昔に終わっている(負けている)のに、戦争という形式だけで生身の人間が無駄に殺されていった、それが太平洋戦争だったように思う。
どうしてなのか?アメリカやイギリスを敵に回して戦うことは日本の滅亡につながる、と考えていた知識人は少なくなかった。麻生元総理の祖父である吉田茂さんは、その一人であった。そして投獄された。
しかし、そういう勇気のある政治家は少なかった。いや、勇気を出さなければ、命をかけなければ本当のことが言えないような状況にする前になんとかできなかったのか?
中太郎はそれなりに資料を当たっているが、ここが節目というのが良く見えない。
<戦前の日本は欧米より民主国家だった>
戦前、インドやビルマ(ミャンマー)はイギリスの領土だったけれど、インド人にイギリス議会の議員を選ぶ権利なんかなかった。
アメリカの奴隷は解放されたが州法で黒人の参政権は否定されていた。白人と同じバスに乗ることも出来ない。白人と同じ学校に行けなかった。
メジャーリーグに行くなんてとんでもない。黒人は黒人リーグでプレーした。
日本の女性には参政権がなかったけれど、すくなくとも男性は誰でも投票の権利があった。
帝国議会の多数党が内閣を組織していた。帝国憲法の条文ヅラだけを見ると、天皇の権限が強いが、実際は天皇は内閣に国政を任せておられたし、軍も内閣のコントロールを無視する事はなかった。
それがいつからか軍は天皇の統帥を直接に受けるから内閣のコントロールの外にある、ということになっていくのだ。それを政治家は止められなかった。
しかし、それは憲法や法律の外にあるということではない。なのにいつか軍が法律を憲法を超えて、国家、国民を支配し、国中を兵営にしてしまう。
<戦争中の日本政府の愚劣さを本書に見る>
本書では、演芸分隊が時代劇から現代劇へとレパートリーを広げていくさまが書かれている。
平和なときなら兵隊さんの素人劇団と持て囃されたかもしれない。
洋髪のカツラをなんとかつくりだす。脚本なんかあるわけがない。すると、同じ映画をなんども見て、筋から演出まで記憶しているという兵隊があらわれて、口述でスクリプトライティングが始まる。
20代からせいぜい40代の男たちが食料も薬もない、生きるか死ぬかの境で、舞台作りに熱中する。
そして敗戦。オランダ軍の進駐。そして、加東さん戦後、舞台、映画への復帰と淡々とした記述が続く。
戦争反対とか愚かだとかとはあからさまに記されてはいないが、戦うこともできず、帰国することも許されず、日本政府によって、南の島に置き去りにされた青年たちのようすは馬鹿な政府を持つことのおそろしさを伝えている。
<憲法や法律は国民を権力から守る道具である>
軍隊や国家は法律など必要としない。銃剣や権力で国民に命令し、やりたい放題できる。それをできないように権力をしばるために法律はある。法律は権力にとって邪魔である。
憲法9条がどんなに旧自民党政権にとって邪魔だったかわかるでしょ。
そして、中学生が読んでも違反だと思う自衛隊が憲法9条に違反しないという解釈を定着させた。こんなことをやっているから法律を真摯に守ろうと思わなくなるんだ、と中太郎は思う。
憲法をそのままにしておきながら憲法違反の法律やら政令やらを濫発した。裁判所は違憲判決を書くかわりに、憲法を違憲の法令にあわせる解釈をした。
憲法に書かれていることと現実の政治はちがう、という理解を自民党旧政権と裁判所は定着させた。
憲法や法律が現実とあわない状況が続くと憲法や法律を超越した存在が国民を支配するようになる、と思う。
その結果がマノクワリの若者に代表される65年前に終わったあの惨劇だったのだ。
数年前、インドネシアで地震があって日本にも津波の影響があるというので少々騒ぎになった。その震源に近いところがインドネシアのマノクワリというところであるという。
いまは南国の美しいリゾートになっているらしい。
今を去ること60年以上前にこのマノクワリに沢山の日本の若者が半死半生で駐留していた。
日本はアメリカやオーストラリアと戦争をしていたのである。駐留していたというと横田や座間にいるアメリカの駐留軍を思い浮かべるかもしれないが、あんな元気一杯でいたわけではない。ほとんど生きているのがやっとという状況だった。
「敵は幾万ありとても置いてきぼりにすればいい」という戯れ歌どおり、置き去りにされた日本軍の兵隊たちは、とてもアメリカやオーストラリアの元気な若者とと戦えるような状態ではなかった。
南の島に雪が降る (知恵の森文庫)
加東 大介
<生きていくはげみの演芸分隊>
加東大介さんは戦後、森繁久彌さんの社長シリーズ(東宝)や松竹の小津映画で有名だった。
沢村貞子さんの弟である。長門裕之、津川雅彦の叔父さんである。戦前、市川莚司という前進座の役者だった。召集されてマノクワリの陸軍病院の衛生伍長になった。
輸送船が撃沈され補給が途絶え、マノクワリには満足な医薬品も食料も無い。病院の中も外も生きているのがやっとの兵隊ばかりだった。
芋など自給自足の生活が始まった。兵の常食は芋ではなく、芋の葉っぱだった。
加東伍長(のちに軍曹)は演芸分隊を組織し、カツラや衣装も自分たちで作り、歌舞伎から新劇まで演じた。パラシュートを素材にして雪もつくった。
東北の部隊の兵は、南国の雪に涙した。病人の兵はそのマガイものの雪に触れながら息絶えた。
この部隊の目的は戦うことではなく、生き残ることだった。
<なぜ賢明な日本国民がこのようなことになったのか>
司馬遼太郎さんはかつて、このようなことを書いた。
「この戦争は戦争といえるのであろうか」
戦争というと弾を撃ち合い、爆弾を落とし、兵と兵が剣を交えることを思う。しかし、南海の孤島に運ばれ、食料も無く、熱病や感染症に苦しんで死んで行くだけ、というものを「戦争」といえるのか。
この本を読むと、戦争はとうの昔に終わっている(負けている)のに、戦争という形式だけで生身の人間が無駄に殺されていった、それが太平洋戦争だったように思う。
どうしてなのか?アメリカやイギリスを敵に回して戦うことは日本の滅亡につながる、と考えていた知識人は少なくなかった。麻生元総理の祖父である吉田茂さんは、その一人であった。そして投獄された。
しかし、そういう勇気のある政治家は少なかった。いや、勇気を出さなければ、命をかけなければ本当のことが言えないような状況にする前になんとかできなかったのか?
中太郎はそれなりに資料を当たっているが、ここが節目というのが良く見えない。
<戦前の日本は欧米より民主国家だった>
戦前、インドやビルマ(ミャンマー)はイギリスの領土だったけれど、インド人にイギリス議会の議員を選ぶ権利なんかなかった。
アメリカの奴隷は解放されたが州法で黒人の参政権は否定されていた。白人と同じバスに乗ることも出来ない。白人と同じ学校に行けなかった。
メジャーリーグに行くなんてとんでもない。黒人は黒人リーグでプレーした。
日本の女性には参政権がなかったけれど、すくなくとも男性は誰でも投票の権利があった。
帝国議会の多数党が内閣を組織していた。帝国憲法の条文ヅラだけを見ると、天皇の権限が強いが、実際は天皇は内閣に国政を任せておられたし、軍も内閣のコントロールを無視する事はなかった。
それがいつからか軍は天皇の統帥を直接に受けるから内閣のコントロールの外にある、ということになっていくのだ。それを政治家は止められなかった。
しかし、それは憲法や法律の外にあるということではない。なのにいつか軍が法律を憲法を超えて、国家、国民を支配し、国中を兵営にしてしまう。
<戦争中の日本政府の愚劣さを本書に見る>
本書では、演芸分隊が時代劇から現代劇へとレパートリーを広げていくさまが書かれている。
平和なときなら兵隊さんの素人劇団と持て囃されたかもしれない。
洋髪のカツラをなんとかつくりだす。脚本なんかあるわけがない。すると、同じ映画をなんども見て、筋から演出まで記憶しているという兵隊があらわれて、口述でスクリプトライティングが始まる。
20代からせいぜい40代の男たちが食料も薬もない、生きるか死ぬかの境で、舞台作りに熱中する。
そして敗戦。オランダ軍の進駐。そして、加東さん戦後、舞台、映画への復帰と淡々とした記述が続く。
戦争反対とか愚かだとかとはあからさまに記されてはいないが、戦うこともできず、帰国することも許されず、日本政府によって、南の島に置き去りにされた青年たちのようすは馬鹿な政府を持つことのおそろしさを伝えている。
<憲法や法律は国民を権力から守る道具である>
軍隊や国家は法律など必要としない。銃剣や権力で国民に命令し、やりたい放題できる。それをできないように権力をしばるために法律はある。法律は権力にとって邪魔である。
憲法9条がどんなに旧自民党政権にとって邪魔だったかわかるでしょ。
そして、中学生が読んでも違反だと思う自衛隊が憲法9条に違反しないという解釈を定着させた。こんなことをやっているから法律を真摯に守ろうと思わなくなるんだ、と中太郎は思う。
憲法をそのままにしておきながら憲法違反の法律やら政令やらを濫発した。裁判所は違憲判決を書くかわりに、憲法を違憲の法令にあわせる解釈をした。
憲法に書かれていることと現実の政治はちがう、という理解を自民党旧政権と裁判所は定着させた。
憲法や法律が現実とあわない状況が続くと憲法や法律を超越した存在が国民を支配するようになる、と思う。
その結果がマノクワリの若者に代表される65年前に終わったあの惨劇だったのだ。