食べ物と汽車が好きな人のための書評

名作の中の食べ物、作家が好きな食べ物と旅を追って、本の森を歩こう

中落合 中太郎
(C)Chutaro.Nakaochiai
カップ・ヌードルと走る司馬遼太郎50歳―『街道をゆく‐モンゴル紀行』
JUGEMテーマ:グルメ

この作品は2008年6月28日に発表したものに加筆修正したものです。

司馬さんはそのとき、50歳だった。大阪外国語学校(のちの大阪外国語大学)蒙古語科出身の司馬さんは‘73年8月、初めて、モンゴルの地を踏む。

この旅はご難続きなのだが最後の最後、命がけ?の危機にみまわれる。

あこがれのゴビの草原を訪れた後、ウランバートルに司馬さん一行を連れて帰る飛行機が天候不良で飛ばないかもしれないのだ。

今のモンゴル国であれば、一日二日の旅程変更はなんでもない。

が、70年代のモンゴル人民共和国に行くにはソ連を経由して入るしかない。ソ連通過が難行苦行であった。

司馬さん一行は新潟発の日航機でソ連のハバロフスクに飛び、さらに国内線でイルクーツクにはいり、漸くモンゴル人民共和国の首都ウランバートルに到達する。

帰りはその逆をたどる。遅延してウランバートルに戻ったとして、ウランバートルからイルクーツク他を経由する航空便の変更が容易にいくとは思われない。

司馬さんは一案を思いつく。飛行機がダメならゴビ砂漠をマイクロバスで縦断しようというのだ。

司馬さんは第二次大戦中、モンゴルと国境を接して向かい合う旧満州(中国東北部)に駐留する帝国陸軍の戦車長として数人の部下をひきいていた。

司馬遼太郎いや福田定一戦車長はゴビ縦断行軍の準備に走り回るのである。青字は、引用。

食料にこまるかもしれない。われわれが携行している食糧は須田画伯が大事そうにかかえていたカップ・ヌードル十個あるのみである

挿絵を担当するために同行している須田剋太画伯を司馬さんはたずねる。

モンゴルの澄んだ空と広大なゴビの高原での青年士官にもどってしまった司馬さんと悠然たる画
伯のやりとりが実にいい。

遠くに出ている蜃気楼を描いている画伯に、背後からきいてみた。

「あれは、あなた、あなたが二つも食べたじゃありませんか」

私も、それを忘れていた。あわてて、じゃ、いくつ残っていますか、ときくと、

「幾つたってあなた、わたしも食べました。誰それさんも食べました」

「……すると」

「一つも、ありゃしませんよ」

<中略>

しかし、食糧は食堂にすこし残っているはずとも思った。問題は水である。

ドラム罐一本で足りるだろうか。

<中略>

燃料も、十分持ってゆかねばならない。

しかし、司馬戦車長の奔走はガイドのツェベクマさんにあっさり却下される。

彼女はダメダメと連呼して、「あなたたち、みな死んでしまいます」

そして飛行機は悪天候を押して、無事、ウランバートルにとびたつ。

そもそも、カップ・ヌードルというインスタント食品を須田画伯が持っているのを司馬さんが知るのはイルクーツクでソ連旅行の苦難の洗礼を受けたためである。

司馬さん一行の持つクーポンには食事券がはいっていないのでホテルには泊まれるが食事はできない、というのだ。

たまたま、司馬さんの戦車隊の戦友であった商社の幹部が同じホテルに泊まっていた。

彼のはからいでようやく食事にありつける。司馬さんは須田さんが心配になって須田さんの部屋を訪ねる。

ソバをすすっている。中身をみると、インスタントラーメンである。

「おや、食事が当たらなかったのですか」、ときくと、
「いや、私は食べましたよ。食堂ですわっていると、ちゃんと出てきました」、という。

須田さんは十袋持ってきた、と司馬さんにいっている。ここでは袋麺と書いている、が後のゴビの危機の時にははっきり、カップ・ヌードルといっている。

おそらくカップ・ヌードルだったのだろう。司馬さんはそんな画伯を「浮世ばなれしている」と書いているが誠に飄々としている。

ホテルに残った須田さんは当然のように食堂に座り何事もなく夕食を食べ、

一方、司馬さんは戦友に夕食を調達してもらう前に空腹を抱えてモンゴルの入国査証を得るべく、雨の中、夜のイルクーツクをさまよったのである。

須田さんの査証も司馬さんが取ってあげたのはいうまでもない。
街道をゆく (5) (朝日文芸文庫)
街道をゆく (5) (朝日文芸文庫)
司馬 遼太郎

| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 14:38 | comments(0) | - | pookmark |
桜飯―河井継之助の好物・「峠」司馬遼太郎
JUGEMテーマ:グルメ
2007年12月15日発表の作品に「秘密のケンミンSHOW」に関する記述を加筆。改行を細かくして読みやすく書き改めました。

<河井継之助と桜飯> 

司馬遼太郎の長編小説「峠」の主人公、越後長岡藩総督、河井継之助の好物は桜飯であった。

継之助によって救われた庄屋徳兵衛は、当然ながら継之助を恩人とし、・・・毎年彼の肖像を床の間にかかげ、味噌漬飯をそなえたという。

「味噌漬飯ほどうまいものはない」と継之助がこの屋敷でいったからだというのである。

このめしは炊きこみ飯の一種で、大根のみそづけをこまかくきざんで飯にたきこんだものである。
長岡藩の家中では一般に「桜飯」といった。(「峠」前・新潮社刊より)

1966年11月より68年5月まで、「毎日新聞」に連載。1968年、新潮社刊。のち新潮文庫に全3巻で収録。
峠 (上巻) (新潮文庫)
峠 (上巻) (新潮文庫)
司馬 遼太郎

<新潟県で桜飯の取材旅行をした司馬さん>

司馬さんは新潟県に取材して、桜飯を探した。

そのことを大阪の甘辛社という出版社が出していた『あまカラ』という小さな雑誌に寄稿しておられる。

甘辛社の発行人は今中善治さん。和菓子の老舗、鶴屋八幡の経営者である。『あまカラ』は1968年(昭和43年)に廃刊になっているが、グルメエッセイの宝庫である。

高田宏さんがそのなかから一人一作を抜きん出て「あまカラ」抄3巻にまとめて冨山房より出版した。以下は「あまカラ」抄1−の中の司馬さんのエッセイ「粗食」からの抜粋である。

 筆者は越後に行ったとき、
 味噌漬飯というものをお家でなさいますか。
と、会う人ごとに聞いたが、

桜飯とか味噌漬飯とかいうそういう名称さえきいたことがない、とどのひとも首をかしげた。

「旧士族の家庭だけのものであったようですね」といってくれたひともあった。

<現代に残っていない桜飯>
中太郎も新潟県長岡地方または中越地方の郷土料理の文献やwebページを探した。

桜飯についてのwebページもわずかながらあったがいずれも司馬さんの「峠」にまつわるもので、

地震に襲われた中越地方の村おこしとして「桜飯」を広めようとか、「峠」に書かれた桜飯を再現してみた、などの記事があるばかりで

味噌漬飯或いは桜飯を食べているとか昔作っていたなどというものはなかった。

現在、よし文という会社が継之助の桜飯の素を作って発売しているので興味のある方は求められるとよい。

但し、それが河井継之助の愛した桜飯であるかは知る由もない。

「新潟県の郷土料理カード500」


http://www.nipec.nein.ed.jp/sozai-kyouzai/ryouri/index.html

というwebページがある。

新潟県立教育センターの指導主事であられた丸山久子先生が中心となり、小熊 道子、中村 芳子、荻野 優枝、渡辺 祐子先生ら多数の新潟の県立高校の家庭科教諭の協力を得て、

昭和63年から平成3年に渡って各地の郷土料理のレシピを収集公開している膨大なデータ集である。

家庭科の先生らしくカロリーや栄養成分も記載されている。その中に桜飯に似たものを二つ見つけた。

その一つは下記のこうのもん飯である。
名前も食べられている地域も長岡藩の味噌漬飯にぴったりである。

しかし、油でいためるところが当世風であり、また、飯に具を混ぜるもので炊き込みご飯である味噌漬飯と違う。

料理名(読み) コウノモンメシ 料理名 こうのもん飯 地方 栃尾市繁窪 種別・季節 秋

作り方
1.味噌漬と大根の葉を細かくきざむ。

2.細かくきざんだ味噌漬と大根の葉をしぼって水気を取る。

3.フライパンに油を熱し、大根の葉を炒め、火が通ったら味噌漬を入れて炒める。
4.暖かいご飯に混ぜる。

もう一つは下記のかて飯である。大根の葉を使ったポピュラーなかて飯でこれも混ぜ飯である。

料理名(読み) カテメシ 料理名 かて飯 地方 中越/十日町 種別・季節 −

作り方

1米は、炊く1時間前に洗っておく。
2大根葉は、よく洗ってゆで細かく刻んでお酒と塩で味付けする。

3米を炊いてむらし、2と混ぜ合わせる。

<かて飯は全国で食べられた>

上米すなわち年貢米や換金用の米を増やすために白米に増量目的で野菜や豆、芋、雑穀などを混ぜた飯がかて飯である。

「おしん」で有名になった大根飯もその一つである。

「伝承写真館日本の食文化 5巻 甲信越」 農山漁村文化協会 刊によれば、

越後は古くから豊かな米作地帯であったが農民が白米を食べるのは祭礼や祝日のみでふだんはかて飯があたりまえであったそうである。

当時、日本の風土病ともいわれた脚気はかて飯しか食べられなかった農村では見られず

白米を常食とした江戸市民に蔓延し江戸患いとも呼ばれ死者が多かったというのは皮肉な話である。

ビタミンBの欠乏が原因とわかるのは大正末期であるが、経験的に白米食が原因として、海軍では兵食は麦飯とするなどの対策がとられた。

陸軍は森林太郎軍医総監(森鴎外)が脚気細菌説に固執して麦飯供与に反対したため、陸軍は多数の脚気による病死者を出した。

これは余談。

味噌には、ビタミンB1が含まれていたから桜飯は脚気予防になっているな。
伝承写真館 日本の食文化〈5〉甲信越
伝承写真館 日本の食文化〈5〉甲信越

<秘密のケンミンSHOWのさくらご飯>2010年7月30日加筆

よみうりテレビ制作の人気番組「秘密のケンミンSHOW」で静岡県西部で食べられる「さくらご飯」が取り上げられた。

「さくらご飯」は醤油と味醂で炊き上げた具のない炊き込みご飯で、こどもたちにも大人気とのことだった。

河井継之助の属した越後長岡藩主の牧野家は、三河の国牛久保を発祥の地とし、上野の国大胡藩主を経て、長岡の地に転封になり幕末に至った。

「牛久保の気風を忘れるな」と藩士は激励された、と司馬さんの「峠」にも記述がある。

牛久保は豊川稲荷で有名な愛知県豊川市の一部である。
静岡県西部の浜松市に近い。

県境、国境を越えて、さくらご飯がたべられてもいい。

<長岡の町人文化と武家文化のちがい>

長岡藩士はもともと三河の人たちが殿様と共に越後に移住してきた。
そして、三河の習慣を残すことにつとめた。

長岡では、武士と町人ではまったく、言葉が違う。
例えば、殿様を町人は「トノサマ」と呼ぶが藩士は「トノサン」と呼ぶ、と「峠」にも紹介されている。

三河文化の炊き込みご飯は藩士だけのもので、牧野家入部前から住む長岡の町人百姓には「桜飯」の習慣はなかったのではないだろうか。

桜飯にはいる大根の味噌漬と醤油とみりんで味付けしたさくらご飯のちがいはどうなるのか?
脚気対策にならないぞ。

と、いわれるとまた、困る。
| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 19:02 | comments(0) | - | pookmark |
無作法でめちゃくちゃな若者がやった明治維新とそれを許した大人たち―竜馬が行くby司馬遼太郎

 <無作法でだらしのない竜馬くん>
 2月14日の「産経抄」氏が織田信長をだしにしたのなら、産経新聞の大先輩、司馬さんの「竜馬がゆく」から幕末の坂本竜馬くんをみてみたい。

はかまで筆をふいて墨だらけにする竜馬くん
千葉道場に入門したての竜馬がかわった柄の袴をはいているので千葉家の令嬢さな子が聞く、
(文庫第1巻より)

さな「江戸では珍しい柄のはかまと存じます。お国許ではやっているのでございましょうか」
竜馬「ただの仙台平です」
中略
竜馬は筆を使ったあと袴で筆をぐいっとぬぐうのが癖だそうである。竜馬の弁解ではゆうべ国へ手紙を書きすぎたらしい

羽織のひもを噛み、ふりまわす竜馬くん
竜馬ははなしに夢中になると癖があった。

議論に夢中になってくると無心に羽織のヒモを解きはじめる。
解いてそれを口にくわえるのだ。房をニチャニチャ噛みながらやる。
噛んでひっぱっては、天下を論ずる。ついには、ヒモはべっとり濡れるのだが、さらにきょうに入ってくると、それをぐるぐるふりまわすのである。
房からつばがとぶ。

これを薩摩の西郷の前でも、越前の三岡八郎のちの由利公正の前でもやった。西郷は、
「つばがとんでのう」
と、閉口しながらもはなしを聞いたという。(文庫第3巻)

幕府の目付である大久保一翁を大阪城に訪問したときは、いきなり、大久保の扇子をとりあげて、自らをあおいだ(文庫第8巻)

板垣退助から財布を強奪した竜馬くん
 蛤御門の変のあと、長州藩は朝敵となり、長州人は天が下、寄る辺のない身となった。長州派の公家たちはそれに先立って、都から長州に落ちた。長州派公卿の中心人物であった三条実美の義母に当たる信受院は京の郊外の百姓家に閑居していた。

信受院は土佐山内家から嫁いだ。そして、竜馬を思う田鶴が侍女として付き添っていた。
脱藩流浪の身である竜馬はたまたま、乾退助(のちの板垣退助)に会う。

竜馬は、土佐老公の側近である退助にきく。
竜馬「土佐藩は(信受院さまを)藩邸にひきとったであろうな」
退助「いや、ひきとらぬ」
竜馬「暮らし向きは、もちろん、土佐藩から内密に補助がでておろうな

竜馬は、土佐藩が幕府に遠慮して、三条家の家族になにもしていないと知る。

竜馬は退助の袖をとらえ、いきなりかれの懐に手をいれ、ずるずると財布をひきだした。まるで辻強盗である。

竜馬は、その金を信受院に届けさせる。
「おどろいたな」
退助も気のいい男だ。手ぬぐいを出して顔の汗を拭いている。

(文庫第5巻)

ことほど左様に身分制度があり、戦国時代よりはるかに礼儀作法にやかましい江戸末期において、竜馬の服装は乱れ、(彼は袴に皮の編み上げ靴をはいて、香水をつけていた)じつに礼儀を無視したおとこであった。

産経抄の筆者が織田信長を例にひくなら坂本竜馬もうつけであろう。しかし、産経抄氏とちがい、幕末の志士たち、越前松平春嶽、勝海舟らは竜馬の志の高さ、人格のさわやかさを 彼のみだれた服装の内側に見て、無作法をゆるし、彼のことばに耳をかたむけたのだろう。

司馬さんの後輩である産経抄氏はいう。(緑色は産経新聞2月14日コラム産経抄より引用)
街中をブラブラしている中高生は結構多い。お世辞にも頭が良いとはいえなそうな子供たちばかりだが、先生もサジを投げているのだろう。

だらしない格好やぞんざいな言葉遣いは、心と生活の乱れにつながる。

そして、前回で触れた捨て台詞である。

祖先を敬い、友と仲良くし、故郷を大切にする心をはぐくまないと日本中、国母クンだらけになってしまう。

産経抄氏は、反逆は若者の特権、だとか、信長もわかいころはバカだといわれたが、と持ち上げるふりをするが、彼はそもそも、「ものごとは外見である、行儀良くしろ、おとなしくしろ、分をわきまえろ」、といったにすぎない。


司馬さんの後輩である産経抄氏が、時をこえて、竜馬に出会っても、服装の乱れた、無作法なバカ者と切って捨てるにちがいなかろう。

それにしても、結語の一文。

日教組出身の民主党大幹部、輿石東先生はよくわかっておられると思うが。

これが中太郎には「よくわからない」
どういう脈絡なの。
| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 06:28 | comments(0) | - | pookmark |
ウィンナーシュニッツェルー村上春樹と「サウンドオブミュージック」と『坂の上の雲』by司馬遼太郎
<村上春樹さんが教えてくれたウィンナーシュニッツェルのうた>
 
映画「サウンド・オブ・ミュージック」から「私の好きなもの(My Favourite Things)」の歌詞にこういう一説がある。
「わたしのすきなものは....ヌードルをそえたウィンナシュニツェル」
これを教えてくれたのは村上春樹さんの随筆集『村上朝日堂』である。
歌詞を紹介しているサイトをのぞくと2番にこういう歌詞がある。

Cream colored ponies and crisp apple strudels,
door bells and sleigh bells and schnitzel with noodles.
The Sound of Music”から”My Favourite things”

ヌードルを添えたシュニッツェルの写真はこちらを見てください。
http://blog.livedoor.jp/kidtvl555/archives/50263807.html”

ヌードルというとケチャップで色づけした赤いスパゲティーを想像したがオーストリアでそんなもの食うはずない。ショートパスタである。

そこからシュニッツェルのミラノ起源説があるのだろうがミラノ風コトレットはチーズがはさんである。

村上さんはヌードルが添えてないシュニッツェルは嫌いなんだ、と結んでいる。
村上さんはさらにシュニツェルの薀蓄を語る。

ウィンナシュニツェルにはほかにも決まりごとがある。あげた肉の上にレモンの輪切りを載せ、その真ん中にアンチョビを巻いたオリーブを載せる。

それからケーパーも振る。熱いバターをかける。つけあわせは白いヌードル。これがきまりであってこれだけ揃って「あ、ウィンナシュニッツェルと呼ぶことができる
「ビーフカツレツについて」『村上朝日堂』より。

残念ながらムラカミさん指定のアンチョビのせレモン輪切りのせケーパー振りにしてヌードル添えのシュニッツェルの写真はなかった。
村上朝日堂 (新潮文庫)
村上朝日堂 (新潮文庫)
村上 春樹,安西 水丸

なぜ、ムラカミさんはシュニッツェルの講釈をしたかといえば、彼は、ビーフカツレツが好きなのに東京にはビーフカツレツを食べさせる店が少ない。

そういうときはウィンナーシュニッツェルを食べる、という話からだ。「ロンメル将軍と食堂車」−『村上朝日堂』参照。

なお、村上さんのウィンナーシュニッツェルを自作したいという熱意と才能のあるひとは『村上レシピプレミアム』(台所で読む村上春樹の会編著)を見てください。ムラカミ式正調ウィンナーシュニッツェルの写真もあります。わんわん。

村上レシピプレミアム
村上レシピプレミアム
台所でよむ村上春樹の会

さらにいえば前出の稿でムラカミさんは戦車軍団を率いて北アフリカを荒らしまわったナチスドイツのロンメル将軍がパリへ向かう食堂車の中でウィンナーシュニッツェルを食べるシーンを映画で見たと書いている。

<将軍はカツレツを車内で食べるものらしい−『坂の上の雲』から>

 司馬さんの長編小説『坂の上の雲』のドラマがもうすぐ始まる。日露戦争の山場のひとつ、二百三高地攻略のシーンで児玉源太郎大将がカツレツを食べるシーンがある。正確に言うと「食べ損なう」のだが。

児玉大将は、野戦軍のナンバー2の総参謀次長であった。二百三高地攻略を含む旅順要塞はその第3軍が担当し、司令官は乃木稀典将軍だった。

簡単に言うと乃木さんのやり方では旅順は陥落しない。児玉さんは乃木さんに作戦変更をせまるが乃木軍の伊地知参謀長は児玉さんの意見を聞かない。

坂の上の雲 四 新装版
坂の上の雲 四 新装版
司馬 遼太郎
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| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 20:48 | comments(0) | - | pookmark |
「惚れたなあ」と坂本竜馬がつぶやきつつ、冷酒を飲んだときの肴「たくあんの煮物」―『竜馬がゆく』by司馬遼太郎
「京はさすが千年の王城のだけにこみいった奇妙な食い物をつくる」
『竜馬がゆく』文庫版第3巻「京の春」の章より

これは宗教記者として京都駐在が長かった司馬さんの感想でもあるだろう。手の込んだ食い物である。食べ物には冷淡な司馬さんにしては珍しく調理法も書いている。

よく漬けたタクアンをもう一度水でもどし、そいつを干雑魚をだしにし、赤唐辛子を加えて煮あげたものである。

<この時代の竜馬>

『竜馬がゆく』第3巻の「京の春」時代は、長州が朝廷を牛耳り、竜馬の盟友であった武市半平太が黒幕で活躍していた尊皇派の時代である。長州は将軍に上洛を促し、孝明天皇の下賀茂行幸の供をさせたり、やりたい放題であった。

一方、土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛らを使って、岩倉具視などの公武合体派の公卿や勝海舟など幕府の要人を暗殺すべく狙った。

竜馬自身は武市らが藩政を握ったため、脱藩の罪を許され、命を狙われることもなかった。一方、浪人海軍を作るべく奔走しているがまだ、神戸海軍塾は見通しがたっていない。

そういう時代、竜馬はひょんなことで未来の妻、おりょうに会う。千葉さな子、お田鶴様と才気煥発の美女におもわれる竜馬だが、お田鶴様も息を呑むほどのおりょうの美しさに竜馬も参ってしまった。

火事場でおりょうに会い、悲境にあることを知って、寺田屋のお登勢にむりやり、おりょうを養女にさせてしまう。

竜馬がゆく〈3〉 (文春文庫)
竜馬がゆく〈3〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎


<竜馬がタクアンの煮物を食べるシーン>
竜馬は竹田街道を伏見から馬を跳ばして、勧進橋のたもとの茶屋で冷酒を所望する。

(どうも恋をしたらしい) 
竜馬はぼんやりと茶屋のおやじをみている。
<略>
「いや、惚れたのよ」
ぐっと酒をのどに入れた。
「へえ」
「ああ、こっちのことだ。ついでだから、そこのタクアンの煮あげたやつをくれ」
「へい」
鉄釉でぼってり焼きあげた丹波の百姓焼容器にそれをいっぱいに盛りあげてもってきた。
<略>
存外な風味があり、口あたりもいい。しかし、栄養にもなにもならぬものだ。
(惚れたなあ)
(惚れたよ)

司馬さんは酒を飲んでいる竜馬にしきりにつぶやかせる。

ちょうちんがいるほど、日が西山に傾いている。京都の橋のたもとの茶屋で渋い湯飲みの冷酒を飲みながら6尺を超える蓬髪の浪人者(いや、このときは土佐藩士)タクアンの煮物をかじっている、想像しにくいな。


<大河ドラマでおりょうを演じた女優>

竜馬のすきな女性のタイプは「男まさりで才気があって」という姉の乙女に似たひとにかぎられている。(同書)さらにおりょうは悲境にある。そこがどうも竜馬を刺激したようである。

『篤姫』2008年
おりょう:市川実日子 竜馬:玉木宏
これは見ていないのでなんともいえない。

『新選組!』2004年
おりょう:麻生久美子 竜馬:江口洋介

江口さんは印象が強いがおりょうさんが出ていたか記憶がない。

『翔ぶが如く』1990年 
おりょう:洞口依子 竜馬:佐藤浩市

洞口さんは息を呑む美女というよりかわいい京女を演じていた。

『竜馬がゆく』1968年
おりょう:浅丘ルリ子 竜馬:北大路欣也

浅丘さんのおりょうは一番はまっているが、なにしろ、私は小学生で、そんな色気の微妙さがわかろうはずがない。はまっている、といったのは寅さんのリリーさんの雰囲気から推し量ってである。

<司馬さんのいう奇妙な食い物をつくってみた>

『たくあんの炊いたん』とかいわれる京都のおばんざいらしい。ウィキペディアによると、京都、滋賀、福井、石川の郷土料理とある。司馬さんの故郷、大阪にはなかったようだ。

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| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 22:52 | comments(0) | - | pookmark |
草津の湯長−今も残る湯治ー草津温泉『北斗の人』司馬遼太郎
<湯治はいまも>
10月5日の産経新聞東京版朝刊社会面「まち語り、もの語り」という囲み記事を読んで驚いた。現代医学から見放された患者さんたちが草津温泉で湯長という先達さんに導かれていまも温泉治療を受けているのだ。湯長さんの名は井田剛文さん。かつて、半身不随の重傷を負い、担当医に「たまによくなる人もいるらしいよ」と紹介され、ワラにもすがる思いで草津に来て先代湯長の高原喜助さんの指導で普通に歩けるように回復した。井田さんはお礼奉公のつもりで高原さんの後を継いだ。
 中太郎は草津温泉の湯治については知っていた。司馬さん作の『北斗の人』で若き千葉周作が草津温泉を訪れている。しかし、そんなものはとうの昔に消えていると思っていた。草津といえば、日本有数の温泉地でありスキー場である。この現代医学の発達した今、のんびりとした湯治など消えうせていると思っていたのである。
 鹿児島県に塩浸(しおひたし)温泉という湯治場がある。寺田屋襲撃事件で坂本竜馬が手傷を負ったとき、西郷吉之助の勧めでおりょうと傷の療治に訪れた有名な湯治場であった。後年、司馬さんはその塩浸温泉を訪ねるべく鹿児島を訪れるがタクシー運転手はその名を知らなかった。漸く司馬さんはその江戸時代の名湯を捜し当てるが、見る影もなく寂れていた。戦後のめざましい医学の発達、特に抗生物質の発達がこのような湯治場を過去のものにした、と司馬さんは『翔ぶが如く』のなかで語った。

<『北斗の人』の中の草津温泉>
 『北斗の人』は、テレビ放映もされた。上州馬庭の人にとってはほろ苦い作品であろうと思う。奥州の百姓のせがれ周作は父と共に江戸に出て、小野派一刀流の中西忠兵衛門下の剣客浅利又七郎の養子となる。浅利道場の若師匠として頭角を現しつつある周作の鼻と腕をへし折ったのが、上州に本拠を置く馬庭念流の高弟、本間仙五郎である。
 後年、一念発起して周作は浅利家を離れ、北辰一刀流を起こしその真価を問うべく上州に旅し、馬庭念流に挑戦し勝利するのであるが『北斗の人』がヒットした故に司馬さんは現代の馬庭念流の門人の「事実無根」との批判にさらされる。
新装版 北斗の人(上) (講談社文庫)
新装版 北斗の人(上) (講談社文庫)
司馬 遼太郎
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| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 20:28 | comments(0) | - | pookmark |
西郷と木戸孝允が食べた薩摩汁−『翔ぶが如く』ー司馬遼太郎
 『翔ぶが如く』は読んでいてつらい本である。最後は城山で西郷は自刃するとわかっている。夢に描いた新政府は理想とは似てもにつかぬ腐敗ぶりであり、重税に百姓は苦しみ、プライドをうばわれた武士たちも貧窮にあえいでいた。西郷だけではなく多くの元志士たちは「こんなはずではなかった」と嘆くが現実は変えようが無い。全7巻ひたすら重く暗い。中太郎は何度も中断し、ため息をついた。そんな話だから、食べ物の話などほとんどない。しかも司馬さんである。そんななか、ストーリーの初めの頃に西郷が木戸と薩摩汁を食べるシーンがある。
水上坂を登る
水上坂(みっかんざか)
<薩摩汁をもとめて>
今年、3月鹿児島に行った。水上坂(みっかんざか)というところと山川港を見たかった。水上坂は、参勤交代の薩摩の殿様がここで旅装束に着替えるならわしであった。帰国のときは、ここで旅支度を解く。その間、家来たちは、見送りの人たちに挨拶したり、桜島を眺めて、故郷に別れを告げる慣わしであった。中太郎は、若い西郷吉之助がはじめて、主であり、師であった島津斉彬に顔を見られる劇的な地として、記憶している。山川港は薩摩藩の外港であり西郷が遠島になったときの出発地であった。
 水上坂は道幅こそ広くなったが坂はつづれ折り急坂であるのは昔と変わらない。登りきったところは住宅団地になっているが、目新しい住宅の間から、桜島が望見できる。大型スーパーの向こうにも錦江湾に囲まれた桜島が見渡せる。
 中太郎は、団地の中のレストランで水上坂のことを話したが、歩いて来たことにだけ女主人は感心したようだ。料理ができるまで、
「おうちでは薩摩汁というものを作りますか?」
と聞いてみた。越後で桜飯のことを取材中の司馬さんになった気分であった。30くらいの太田裕美似のお嫁さんと柴田理恵さんをしわくちゃにしたようなお姑さんらしい女主人は顔を見合わせた。
「地鶏がありませんので、作りません。今は、豚ですから」
というようなことを薩摩なまりの早口でお姑さんがいった。
「豚で薩摩汁をつくるのですか」
「東京で言えば、豚汁です」
とお嫁さんが標準語で説明した。そのほかに何がはいるのか私は聞いた。男の癖にうるさい奴だと思ったろうが気の毒なことに店に客は私一人だったので相手をせざるをえない。お嫁さんがいった。
「芋とか大根とか、なんでもいれます。味付けは味噌です」
「それはけんちん汁に肉がはいったようなものですね」
嫁と姑はふたたび、顔を見合わせた。2人の会話は私には全くわからない。私にはわかりやすく話しているのだ。
「けんちん汁というものは聞いたことがありますが私たちは見たことがありませんので」
と、お姑さんが薩摩なまりの早口で答えた。しつこく私はたずねた。
「今の薩摩汁は西郷さんの頃のものと変わっていないのでしょうか」
「地鶏があれば作ります。昔はどこの家でも地鶏を飼っていたのですが、今、手に入りませんから作りません」
と、最初の話に戻ってしまった。
 鹿児島市内に戻って郷土料理店を見て歩いたが薩摩汁は見つからなかった。一軒の店に薩摩定食といういかにも観光客向けのサンプルがあった。みかけは東京の豚汁定食と大差がない。お姑さんが、今の人はそういう地味なものは食べない、といっていたが、確かに若いお嬢さんや観光客が心ときめく食べ物ではない。中太郎もそうだから、黒豚のトンカツを注文した。西郷と木戸の食べた薩摩汁はどうだったのか?
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| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 12:19 | comments(0) | - | pookmark |
幕末と自民党―日本はほろびますな「竜馬がゆく」by司馬遼太郎
<逃げた総理大臣と逃げた将軍>
福田総理が辞任を表明した。中太郎は福田さんを徳川慶喜になぞらえて、司馬さんの「最後の将軍」の評をするつもりで準備していた。しかし、自公政権が徳川幕府ならまだ、大政奉還しないうちに慶喜が将軍を辞めてしまったことになり、中太郎の「福田康夫=将軍慶喜」説は、行き詰まってしまった。やれやれ。でもまあ、現在の自民党が徳川幕府末期の様相を呈しているのは、まちがいない。

社会保険庁の問題は役人が悪い、と桝添大臣ら自民党は野党といっしょに攻撃している。しかし、歴代社会保険庁長官や当時の責任者を証人喚問してなにが原因であったか、誰の責任か、調べたことがあったか?アメリカ議会の公聴会のようなことをなぜやらないのか?結局、うやむやである。役人が悪いというがその役人が持ってくる書類にハンコを押したのは当時の厚生大臣であろう。事務処理は役人のほうが優れている。役人がまっとうなら国会はいらない。そうでないから、それをコントロールするためのコストとして国民の代表を議員として送っている。役人からすれば素人の議員をわざわざ官僚という玄人集団のトップにすえている。コントロールできないのなら、なぜできなかったか調査すべきだが、それもしない。であれば、その座を降りるべきであろう。
竜馬がゆく〈5〉 (文春文庫)
竜馬がゆく〈5〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎

以下、『竜馬がゆく第5巻ー変転ー』より抜書き。西郷吉之助と幕臣勝海舟との最初の対面の場面である。勝はいう。

当節、食えぬものといえば、天下に幕府の高官ほどのものはござらぬ」
「たがいにかばいあって、どこに権能があるのか、わからぬようにしている。老練なものでござってな、あなた」
「たとえばそれがしが正論を持ってゆく。お説ごもっともでござる、と決して反対しない。反対しないから行うのかとおもえば、けろりとしている。もし、正論が自分一個に不利益だとすると裏へまわってその人物を退けてしまう。だから、たれも正論を吐かず、直言する者もいない」


自民党はいまから、半年かけて総理大臣候補予備選挙をやりなさい。
アメリカでは、民主、共和両党の候補者が決まり、大統領選挙も本番だ。自民党は、その場しのぎで両院議員総会で麻生さんあたりを総裁に選ぶつもりなのだろうが、やめたほうがいい。彼らにリーダーを選ぶ能力は無い。去年の今頃、麻生包囲網をつくって、麻生氏を追い落とし、福田氏を総理総裁に選んだ連中が、いま、麻生さんに秋波を送っている。それはなぜかといえば、自己の政見、信念にかかわらず、党内の政治のバスに乗り遅れれば、また、新総裁に反旗を翻せば、自らの地位が危うくなる。当選もおぼつかない。したがって勢い旗色の良い方にどっと押し寄せる。それが自民党である。
再び、『竜馬がゆく第5巻ー変転ー』の西郷吉之助と幕臣勝海舟の会話にもどろう。勝はいう。
「一小人を退けるのは容易です。しかし、彼を退けたところで、彼にかわるに、身を挺して国家を担当する人物がいない。結局、いまの幕府の空気では、議論をする者が倒れる、ということになる。手のつけようがありませんな」
「たとえば薩藩からかような意見が出ましたと持ってゆくと、あれは薩藩からだまされている人物だということになって、いつとはなく御役御免になってしまう。諸藩がいくらてこ入れをしても、湯のなかで屁をひっているようなものです」
(西郷)「もし、かようなときに清国の場合と同様、列国が連合軍を組み、陸兵を艦隊にのせて、京都を占領すべく摂海(大坂湾)に押し寄せたとすれば、どぎゃんこつ成り申すか」
「日本はほろびますな」

いまの幕府にまかせていては、と幕臣勝はいうのである。

なんとかイッタキタ、とかいう副大臣がいたような気がする。
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| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 07:59 | comments(0) | - | pookmark |
『エアコンのCM−さち子とひろしの物語』はじーんと来るね―『おお、大砲』(司馬遼太郎著)
さち子の家にエアコンを取り付けに来た電気屋さんは、かつての同級生のひろしだった。「店、継いだんだ」エアコンを取り付けているひろしにさち子は、おずおずと聞く。「結婚は?」ひろしは、はずかしそうに「まだ」パンフレットに見入る2人の距離は見る見る近くなる。「もう一台、取り付けることにしたさち子であった」とナレーションが入り、CMは終わる。

CMなんだけど、ハートウォーミングだなあ。見るたびにじーんと来る中太郎であった。

2人は30歳で高校の同級生という想定だそうである。ひろしは『ちりとてちん』でクールな落語家を演じた加藤虎ノ介くん。さち子の春木みさよさんがいい。大人の色気を感じさせながら高校生のあどけなさも引きずっていて、「あたしもまだなんだ」雰囲気がムンムン。CMを「ありそうな話」にしたてあげている。

中太郎は勝手にストーリーを考える。
さち子は大学を出て、就職し東京で仕事も恋愛もブイブイやっていた。ひろしなんか思い出しもしなかった。ところが、嫌なことがあって故郷に帰ってきた。「これからどうしようか」とさち子も親も考えている。同級生たちと会ったりしているうちに、ひろしのことを思い出したが口には出さなかった。そこにひろしがやってきた。さち子はひろしはとっくに結婚していると思っていたし、ひろしはさち子が戻ってるなんて思いもしなかった。エアコンのカタログを見ながら2人は急に高校時代のあれこれを思い出し、話すのであった。陳腐やろー!でもこういう話が好きである。

司馬遼太郎の『おお、大砲』は幕末の話である。
『人斬り以蔵』(新潮文庫)という短編集の中に収められている。本の名は恐ろしいが『おお、大砲』はあっさりした話である。坂本龍馬とか高杉晋作とか土方歳三という司馬遼ヒーローは全く出てこない。維新史を大きく動かした事件も起きない。中書新次郎という大和高取藩士の話である。そんな藩あったか?というような小藩である。ただこの小藩には大阪冬の陣(およそ250年前)で活躍したという年代物の大砲が6門あり大砲方という役目の家が6軒、大砲を守ってきた。新次郎は大砲方の跡取りの笠塚圭之助と友達だった。笠塚家に出入りするうち、圭之助の姉の妙と人にはいえないおとことおんなの秘密を持ってしまう。でも、その後、何事もなく、妙は大和郡山藩士に嫁いだ。次男である新次郎は中書家を継げるわけもなくわが身を養うため、医術を身に付けるため大阪の緒方洪庵塾に入塾する。

月日が流れ、笠塚家は当主の六兵衛が死に、跡取りの圭之助も急死してしまう。笠塚家は断絶の危機に見舞われる。養子を迎えねばならない。そんな時、医術修行中の新次郎に白羽の矢がたった。大砲方、門外不出の秘伝を新次郎は笠塚家に出入りして密かに伝えられている、という噂からだった。しかも妙が婚家と不縁になり、笠塚家に戻っていた。養子に入るという事は妙の婿になることだった。妙は新次郎なら良い、といっているという。まさか、あの秘密ゆえに良いといったのだろうか?

さて、幕末の混乱が新次郎と妙にも襲ってくる。
天誅組という攘夷浪士の大軍がこの小さな藩に攻めてきた。高取藩は幕府側だ。しかし、そんなことは今、どっちでもいい。たよりになるのは骨董品の大砲だけだ。新次郎は大砲を内緒で見せてもらっただけで秘伝は聞いていない。他の大砲方は門外不出といって教えてくれない

『あなた様は、あなた様はにせものだったのねぇー』
妙は叫ぶ。。どーすんだ。ところがこのにせものは笠塚家にとって、高取藩にとって、拾い物だった。江戸幕府300年の泰平に眠っていた武士とは名ばかりの惰弱な教養人になりはてた高取藩士が攘夷浪士に敵すべくもない。秘伝も知らない新次郎は妙とともに藩の危機に立ち向かう。

さち子とひろしを妙と新次郎の場合とどうくっつけようか考えていたが、まあ、おとことおんなってあんまし色々考えるより、こういう風なのがうまくいくんかなあ、というには凄まじい幕末であるが…。

人斬り以蔵 (新潮文庫)
人斬り以蔵 (新潮文庫)
司馬 遼太郎

| 中落合中太郎 | 司馬遼太郎 | 19:21 | comments(0) | - | pookmark |
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