食べ物と汽車が好きな人のための書評

名作の中の食べ物、作家が好きな食べ物と旅を追って、本の森を歩こう

中落合 中太郎
(C)Chutaro.Nakaochiai
見たら原作を読んでください―ジュリア・ロバーツ主演・映画「食べて、祈って、恋をして」原作エリザベス・ギルバート
評価:
エリザベス ギルバート
武田ランダムハウスジャパン
¥ 940
(2010-08-10)
コメント:ジュリア・ロバーツの映画「食べて、祈って、恋をして」を観た人はぜひ、読んでください。

評価:
Elizabeth Gilbert
Penguin Group (USA) Inc.
¥ 764
(2010-07)

評価:
エリザベス ギルバート
新潮社
---
(2005-01)

JUGEMテーマ:恋愛/結婚
 「なんだかわからない!」
有楽座という美味しいにおいのする映画館を出る時、私のうしろを歩く女の子がつぶやいていました。

「なんだかわからない!どうして、ああいう結末になるの?」
映画をみた感想を一緒に見たお友達に話している、よくある光景です。

別のグループの女性がいいます。
「あの展開だと、あそこでああなると思わないけど…」
と大きな声で話しています。

原作を読んでしまった私は心のなかでつぶやきました。
「あのシーンとラストシーンの間には長いエピソードがあるんです」

この先の話はストーリーの結末を想像させますので一番最後に書きます。
映画を見ていなくて、「私はカンがいいわ」と思う人は文末の緑色の行は読まないこと。


小説や史実を映画やドラマにするとどうしても原作とのちがいが気になりますね。
司馬さんは「私は私の原作の映画やドラマは別の作品だと思って楽しんでいます」
と、書いているけれど、そう思います。

映画を見たひとは原作を読むことをおすすめします

見てから読むか、読んでから見るか、とは私が学生の頃、流行った「八つ墓村」とか「セーラー服と機関銃」とか角川映画と角川文庫のキャッチフレーズですが、「観たひと」は読むと謎解きができます。

映画を見ていない人、原作を読んでいない人に映画の感想や感動を伝え、しかも、結末がわからないようにしゃべるのはむつかしい。

でも、なんとかやりましょう。

最初の10章。映画では見えないリズのこころ
ストーリー展開について申し上げます。原作を踏襲して、場面はニューヨーク→バリ→ニューヨーク→イタリア→インド→バリと展開します。

ニューヨーク編
リズと夫との離婚、若い恋人デービッドとの関係が語られます。

リズの離婚にいたる内的葛藤。神様との会話。これは映画ではわかりません。でもこれをわかってほしい。

ニューヨークのシーン。ダンナと暮らしていたときの生活と恋人デービッドとの同棲生活。このコントラストがアメリカ社会を知らない映画でよくわかります。原作で見えない側面がわかりました。

30代後半の女性作家と20代の青年の同棲が周囲からどのように見えるか、は、映像化するとよくわかります。

もう一つは彼女の生い立ち。WASP(White Anglosaxon Protestant)。東部の中産階級。他のマイノリティから見るとうらやましい生い立ちをリズがどう考えているか、これはタブーなのかもしれません。映画からは読み取れませんでした。

イタリア編

イタリアではイタリア語を教えてくれる気のいいイタリア青年ジョバンニやスウェーデン娘ソフィーとの交流を通じて、イタリアを楽しみます。

ローマの美しさ。猥雑さ。ジョバンニとの逢瀬の舞台装置としてのローマ。リズとジョバンニが新宿で会ってもローマの逢瀬のようにはなるまい、と思いました。映画は私の想像の中のイタリアを越えて美しかった。

ルカ・スパゲッティ(かわいいオジサン)サッカーに熱くなるローマっ子のののしり言葉。原作を読んだ人は「ここがそれなのね」っと楽しめます。

インド編

映画ではムリだった

主人公のリズはイタリアからインドのグルのアシュラムに行きます。アシュラムの雰囲気は私が行ったことのあるところと比べてあんなものです。

細かいことを言えばヒンドゥー教のアシュラムでは男女がいりまじって瞑想したり食事するというのはインドでは、ない…まあ、いいか。

彼女はアシュラムで瞑想して雑念が多くてうまくできない。これは描写されてます。
しかし、これは瞑想をハスッパに初めてしまった人だれもが経験することです。

それより、彼女が瞑想を通して、それこそ別れたダンナのこと。恋人のデービッド。さらには彼女の生い立ち、全人生にわたる内面的な苦しみ、悔恨にうちのめされのたうちまわるところは映画ではヤッパリ無理でした。ありません。やれば朗読劇になってしまうでしょう。

原作ではグルギーターというヒンドゥー教の神様の名前を詠唱する修行で彼女はものすごく苦しみます。これもありません。

テキサスのリチャードはリズが内面の苦しみをぶつける一緒に考えてくれる人物です。
リチャードとの会話を通してさっき「映像化は無理」といったリズの内面を描こうとします。

映画はこれをかなり押さえた表現にしています。原作のままやると宗教色にアレルギーを感じる人もいるからでしょう。ここがポイントなんです。

背景となるインドはイタリアと一転して現実でした。
16歳のアレンジドマリッジ。

原作を読んだ人(私)は…
読んでから観た、私はインドのアシュラムの様子や一緒に床磨きした少女やテキサスのリチャードの顔が見えて(リチャードはいいねえ)

バリ編
バリではメディシンマンのクトゥというおじいさんとヒーラーの女性ワヤンのスピリチュアルな世界が描かれます。クトゥの暗示やワヤンの一言。プロテスタントの宗教観に育ったリズには新鮮だったのでしょう。

一方、バリの享楽のシーンも。
背景となる海。水田。美しいバリ女性。水田がこんなにきれいだとは。


バリのヒンドゥー教の儀式にリズはなにかを得るんですが、映画ではほとんどありませんでした。

クトゥがリズにしめしたテーマはバランスです。

バランスをリズはどうするんでしょうか。

原作のイメージが壊れるか。見ない方がいいか

私のこたえはイエスそしてノーです。
映画を原作の映像化と思う人は、リズの内面が描ききれてないので、見ない方がいい。

ぜんぜん違う!と怒るでしょう。現にNPR(National Public Radioアメリカの公共放送)の映画評論家がメッチャクチャに批判記事を書いています。

Linda.Holmesのブログ
http://www.npr.org/blogs/monkeysee/2010/08/16/129227754/what-went-wrong-with-eat-pray-love

映画は原作の一部。そう、挿絵あるいはグラビアと思うと、イタリアの明るさ、重厚さとニューヨークののおもくるしい生活との対比。

バリの水田がきれいですね。水田は観光資源になるんだ、と思いました。

この作品は映画は原作の補完的なものだ、と思えば観たほうがいいでしょう。

先に観てしまったあなたは読んでください

アメリカではベストセラーで読んだ人のほうが多いので映画化されたのですが、日本では映画を観た人のほうが多いのでしょうね。

私は原作を読んでか映画を心待ちにして、「うわー来た!」と観に行った口なので、映画を見て原作を読んでいないひとの気持ちは想像するしかないのですが、

映画で見るリズの心の変化や行動は彼女の瞑想や祈りを通じての自己や神との会話に裏付けられています。原作はそれに沢山のページを費やしています。

人間の内面の映像化はむずかしい。だから、映画をいきなり見た人は「なんでこういう展開になるの?」という疑問がでるんだろうな、と思います。

そういう意味では自己完結していない映画といえます。が、それでも私は見てよかったと思います。

文庫も出ましたし、リズ・ギルバートの世界に乗りかかった船と思って、原作を読んでください。

アメリカでベストセラーになりニューヨークタイムズなどの書評でほめられた本です。それだけのことはあります。断言します。

あるラジオ番組の映画評にむっと来た
自分の書評を他人にこき下ろされるとヤッパリつらいです。だからひとの評論を批判したくないんです。でも、プロのくせに見たり読んでないで批判しているひとがいるみたいなので一言書きます。
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| 中落合中太郎 | エリザベス・ギルバート | 16:48 | comments(0) | - | pookmark |
おいしく、楽しく、哀しく、そして深く…。リズがあなたに語る―『食べて、祈って、恋をして』(Eat,Pray,Love)byエリザベス・ギルバート
評価:
エリザベス ギルバート
武田ランダムハウスジャパン
¥ 1,890
(2009-12-17)

JUGEMテーマ:グルメ
 
<冒頭のイタリア編から>

スタートはイタリアですぐ、夜中のニューヨークの彼女の家のバスルームに場面転換します。彼女のこころの中の対話、スピリチュアルが苦手でもすこし辛抱して、だんだん映像が見えてきます。

イタリアとバリとインドとニューヨークのお話です。
「女が直面するあらゆること探求の書」という副題ですが事実に基づいた物語です。

原題は、"eat,pray,love-One woman's search for everything across Italy,India and Indonesia"です。

スピリチュアルなはなしもあるし、女性がどう、人間がどう、という私小説でもあるし、グルメや旅がすきなひとも満足できるし、いいですよ。

要約すると、ニューヨークです。離婚です。恋愛です。イタリアです。グルメです。バリです。インドです。バリです。

映画もできてます。9月日本公開です。予告編やメイキング映像が公式、非公式いろいろyoutubeでみましたが画面がきれい。ほんとうにたのしみです。とくにイタリアのごはんのおいしい映像を見たい。


<おいしい記述によだれがでる>

表題のように深いはなしなんですが、著者は、おいしいものを本当においしくかいています。
わたしがいちばんすてきにおいしいと思う表現は下記の青字の引用文です。

ローマに住んで、リズはかんたんなイタリア語は話せるようになった。そして、母子でやっている小さな八百屋さんと知り合いになる。
こういう八百屋さんです。以下、青字は本書からの引用です。

イタリア人の女性とその息子が自分たちの畑で穫れたものを売っている店で、豊かな葉っぱの緑がまるで藻のように色濃いほうれん草や、

血のような色をした牛の心臓かと見まごうばかりのトマトや、ショーガールのレオタードのように皮のぴんと張ったシャンパン色のぶどうなどが並んでいた


きれいでしょう。詩のように。
野菜たちの表現の原文です。

such as rich, almost algae-green leaves of spinach, tomatoes so red and bloody they looked like a cow's organs,

and champagne-colored grapes with skins as tight as a showgirl's leotard.

それでリズは仕入れた野菜たちで昼ごはんをつくります。

ランチのために赤卵ふたつを半熟に茹でた。卵の殻を剥いて平皿に載せ、七本のアスパラガス(細くてシャキシャキして調理する必要もなかった)を横にあしらった。

オリーブも何個か、アパートメントと同じ通り沿いにあるチーズ屋(フォルマッジェリア)で仕入れた山羊のチーズも数切れ、そして、脂のよく乗ったピンク色のサーモンをふた切れ。

デザートには、市場のあの女性がおまけにくれた、美しい桃が一個。桃はローマの日差しの温もりをまだ残していた。

わたしはずいぶん長いあいだ、食事に手をつけらずにいた。それがランチの最高傑作に思えたから。これこそ、なんでもないものでなにかをつくりあげる芸術だと思えたから。

とても色彩豊かで彼女の前のテーブルが目にうかびます。映画をもう見てしまったかのように。

ローマのおともだちでナポリっ子に教えてもらったナポリのピッツェリア『ダ・ミケーレ』(Da Michele)でピザ・マルゲリータを食べます。

薄いのにもっちりしたピッツァがこの世界に存在していたなんて!なんという奇跡!薄くて、ぱりっとして、もちっとして、噛みごたえがあって、滋味深くて、塩気のよくきいた天国のピッツァがここにある!

ピッツァの上では、クリーミーな旨いトマトソースがふつふつと泡立ち、水牛の乳からつくるモッツァレラチーズと溶け合っている。

そして葉を数枚つけたバジルの枝がひとつ。それが香草の芳しい香りをピッツァ全体に放っている。(123ページ)


この記述にはたくさんの読者が飛びついて、お店探しがはじまったようです。こちらが「ダ・ミケーレ」

http://www.alwayshungryny.com/thought-for-food/entry/alwaystraveling-pizza-poetry-of-da-michele-naples-italy/

それからyoutubeに映画の撮影風景。リズ役のジュリア・ロバーツもうつっています。

http://www.youtube.com/watch?v=Mrv4Z_-Z_CU&feature=related


著者がイタリアのシチリア島に旅行します。なんとお巡りさんに「いちばんおいしいお店を教えてください」と聞くのです。そのお店はお母さんと娘さんでやっているらしいお店でした。引用します。

初めて見る種類のパスタで、大きくて平ベッたくてもちっとしていた。

大きさこそちがうが、それは司教冠のように折りたたまれて、ラビオリのような袋状になり、なかにエビとタコとイカを混ぜたあつあつのピューレが詰まっている。

それがホットサラダのように、新鮮なザル貝、野菜の細切りと混ぜられて、オリーブ油をきかせた魚介風味のスープに浸かっていた。(174ページ)


<おとこにはわからないんだが…>

女性なら「うん、そうだよね。わかるわ」といえるフレーズがたくさんあって、確かに「探求の書」になるのかもしれない。(以下、青字は引用)

二十代の終りに近づくにつれて、「三十代突入が」まるで死刑宣告のように恐ろしくなり、わたしは妊娠したくないと思っている自分に気づいた。

中略

姉が最初の授乳期に言ったことも頭の片隅にひっかかっていた

「赤ん坊を持つってことは、顔にタトゥーを入れるようなもの。
実行する前に、本当に自分がそれを望んでいるかどうかを、よく確かめなくてはだめよ」

中略

子づくりに励みはじめて数カ月。でも、なにも起きなかった。

そして、生理がやってくるたびにバスルームでひそかにつぶやいた。やれやれ、これでまたひと月生き延びた…。(15ページ)



たとえば、著者のニューヨークの友人の家のパーティーにいったときの記述。

彼女は新進の芸術家で華々しいキャリアを積み、すてきな芸術家の夫がいて、カクテルドレスの似合う美しい人で新米ママで、ひともうらやむ生活を謳歌しているように見える。

が、別の姿を著者は見てしまう。

彼女がシンクの水に肘まで腕をしずめて汚れた皿を洗っていた姿は忘れられない。
彼女の夫は、別の部屋で、コーヒーテーブルに脚を乗せてテレビをみていた。

彼女がついに台所の片付けものを手伝ってくれないかと声をかけると、彼はこう返した。「放っておけよ、ハニー。あしたの朝、片付ければいいさ」赤ん坊がまた泣き出した。

わたしの友人のカクテルドレスの胸には母乳の染みができていた。(144ページ)

<オレには謎解きの書>

 我々、夫といわれる種族はリズのような行動は謎である。

かみさんが、バスルームにこもって何時間も出てこない。あやまればいいのか(なにを謝るのかわからないが)。

ドアを蹴り上げて「出て来い」と怒鳴れば解決するのか?かまわず「龍馬伝」を見続けるか。

妻がインドのグルの話をとうとうと述べ始める。無反応の夫に失望のため息をつく。インドのアシュラムに数週間滞在する旅にでるという。

<インド編は、ワカンナイ、というところもあろうが…>

 リズがインドのグルのアシュラムに滞在する話は、グルギーターとかウッパサナーとかヨガやヒンドゥー教の記述が多くて、「なんだか難しい。めんどくさい」、と思うだろう。

インド思想の独特の語句や説明は「ああこういうものがあるのね」と読み飛ばしても、筋はつかめるのでがんばって読み通して欲しい。ここがリズの内面の変化のポイントになる。


インドを旅すると、リズのように求道的な欧米人たちにあうだろう。

女性はサリーを着ているかもしれない。男性は頭を剃っているかもしれない。

その何人かはいう。いまはインドのあるグルを信仰している。キリスト教徒ではない、とか、キリスト教に真理をみいだせないから、アシュラムにいる。

わたしは彼らをがっかりさせる。日本人にはめずらしいキリスト教徒だから。

ただ、彼らとちがうのは、べつにそのグルとGOD、イエス、キリストをリプレイスしなくてもいいだろう、と思っている点だ。

リズはどうなの?

わたしはクリスチャンであり、ホワイト・アングロサクソン系プロテスタントに属する家庭の生まれだ。
(WASPってやつだ筆者注)

中略

でも、キリストこそが神に至る唯一の道だという揺ぎ無い教えにはどうしても納得できない。つまり、厳密に言うなら、わたしは自分をキリスト教徒とは呼べない。(3章21ページ)


<リズの先達。テキサスから来たヨギ。リチャード>

ところで、アシュラムでのリズの相談相手。テキサスのリチャードがインド編のポイントだ。彼はスキンヘッドでもない。南部人のステレオタイプで登場する。

訳者の那波さんは彼をカウボーイのようにしゃべらせる。映画の予告編の彼はイメージどおりだった。

リズは悩んでいた。瞑想がうまくいかない、瞑想しようとしても自分と言い合いになる、とリチャードに打ち明ける。リチャードがいう。

「それは自我だな。あんたの自我がすべてを取り仕切っていると確かめたがっている。あんたの自我が、あんたの感情を引き裂き、相反する感情が対立しているかのように見せかけている」

That's just your ego,trying to make sure it stays in charge. This is what ego does. It keeps you feeling separate, keeps you with a sense of duality...

中略

「でも、何のために」
「なんのためもありゃしねえ。あんたに仕えるのが、自我の仕事じゃないからな。

そいつの仕事は自分の力を維持することだけさ。そいつはいま、死ぬんじゃないか、とおびえている、なぜって、前よりサイズが小さくなっているからさ、ベイビー。

あんたがこのまま修行を続けていけば、自我が悪さをすることも減っていくだろう…」
(44章215ページ)

It doesn't serve you. Your ego's job isn't  to serve you. Its only job is to keep itself in power.
 
And right now, your ego's scared to death cuz it's about to get downsized.

You keep up this spiritual  path, baby, and that bad boy's day are numbered.

禅僧の説教みたいなことをクリント・イーストウッドにいわせてるようなもんだ。那波さんは。いいねえ。彼の声がびんびんくるね。吹き替えは大塚周夫だな。


<那波かおりさんの翻訳について>

わたしは那波さんの翻訳と意識して読んだことはない。あるいは今度がはじめてなのかもしれない。でも、リズが日本語を話したらきっとこうだろう、と思う。

食べ物の表現で書いたが、詩のように美しい。

わたしはエリザベス・ギルバートについて2年前にこのブログに書いている。

彼女を知ったのはNPRというアメリカのラジオ局で彼女自身がこの本「食べて、祈って、恋をして」原題「Eat,Pray,Love」について語る番組を聞いたからだ。

彼女は自作について講演も何度かしていて、その様子はyoutubeで見ることができる。那波さんの翻訳を読んでいると講演をしているリズの姿が浮かんでくる。

Authors@Google: Elizabeth Gilbert

というサイトで下記のurlで見られる。いくつか講演の模様がyoutubeにアップされているがわたしはこれがいちばん好きである。

http://www.youtube.com/watch?v=5bhVDIe42to

なお、この講演では49章を取り上げ、著者が朗読している。本書でいうと234ページからだ。

この作品はエリザベスがワインを傾けながら、長かった彼女の旅の一部始終をあなたに語るように書かれている。てもとにおいて、折にふれてページをめくる、そんな一冊である。

| 中落合中太郎 | エリザベス・ギルバート | 21:13 | comments(0) | - | pookmark |
オートミール―デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと(エリザベス・ギルバート著)−加藤容疑者も俺もしらなかったこと
加藤何某が秋葉原で無辜の人々を殺害した。6月21日の新聞各紙によると殺人の動機のひとつとして「彼女がいない。不細工だから女性に好かれない」ことをあげているという。25歳の男が女にもてない、好きな女に振られる、ということがどんなに重く、ツライかは、不惑を過ぎ、女房に邪険にされる中太郎にもわからんでもない。しかし、何の関わりもない前途ある若者や家族に愛される老人を殺す事に何の正当性も見出せないが。

中太郎はバブルの時代に青春を送った。金はあった。本当に必要なものには手が届かなかった。どうでもいいものは手に入った。暇はなかった。つかのまのレジャーや趣味に金をつぎ込んだ。三高という言葉があった。高学歴、高収入、高身長。三高の男性でなければイイ女はなびいてくれない、といわれた。中太郎はどれにもあてはまらなかった。じゃあどうするか?ホットドッグプレスとかPOPEYEが女にもてる方法を毎号特集した。若き中太郎は、熟読し、ブランドで身を固め、女性にもてる、といわれる話題や趣味を身につけ、彼女探しに狂奔した。そして百敗した。
そんな若き中太郎、加藤容疑者、そして、彼女がいないと絶望している男の子に読んで欲しかったのがこの短編である。
「デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと」は『巡礼者たち』エリザベス・ギルバート著岩本正恵訳(1999年新潮社刊)
巡礼者たち (新潮文庫)
巡礼者たち (新潮文庫)
エリザベス ギルバート
という短編集の中のひとつである。エリザベスは中太郎より少し若いオバハンだがアメリカではベストセラー作家の一人である。日本ではさっぱりだが。パンチはないが押し付けがましくなく、読んだ後、心が温かくなる作品を書いている。若い人は
知らないだろうが国木田独歩と同じような読後感がある。所収の『東へ向かうアリス』はおじさんに読んでもらいたい。彼女がどんな人か見たい人はyoutubeでElizabeth Gilbertで検索すると彼女の講演を見られる。
さて、『デニー・ブラウン…』のあらすじである。デニーは高校1年生。勉強はすばらしくできない。お父さんは訪問看護師。お母さんは朝鮮戦争の従軍看護婦あがりのベテラン看護師。働き者ではあるが金持ちではない。おまけにデニーはラッセル・カレスキーという同級生からいじめをうけていた。サイテーだ。16歳の夏だ。デニーはゴルフクラブでバイトをした。なぜかいじめっ子のラッセルと親友になった。カレスキー家に呼ばれた。ラッセルの姉18歳のポーレットと深い仲になった。
ポーレットはどんな女の子だろう。「小柄で髪はブルーネット、胸が大きく、思慮深さをうかがわせる、かわいい口元をしていた。肌は滑らかで美しかった」そんな女の子がさえない年下のデニーをなぜ、ボーイフレンドにしたのか?ある理由で彼女は先物買いをしたのである。勿論、不安はあった。でも、ポーレットはデニーに賭けた。そして、その夏の8月17日。ポーレットにとって、とんでもない災厄の日。彼女は賭けに勝つのである。そして、その日こそデニーが男の子から頼りになる男になった日であった。ハーバードに受かったとかバスケのレギュラーになったとか、そういうことではない。
「女の子ってちゃんと見てるのよ。男の子が思っているほど、浮ついてない子もいるのよ」とエリザベスは笑っている、かな?。そう、そして、君にもポーレットがいることを信じて欲しいのだ。この作品でキーとなるのはオートミールだ。でも、食べるんじゃないんだよね。
ああ、だけど男の子もおじさんも女の子次第でシャンとするんだね。そして、女ってすごいね。作品はあっさりとしてるんだけど、今日の中太郎はおしつげがましかったね。
| 中落合中太郎 | エリザベス・ギルバート | 21:43 | comments(0) | - | pookmark |
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